帰る場所
遠藤一馬
「家族とはどのようなものなのだろう」
私は小学5年生のときに家族と離れ、高校を卒業するまで児童牲護施設で生活していました。施設では、私と同じように家族と薔らせない、または家族がいないな ど、様々な背景を持つ子どもたちと共に過ごしました。 施設での生活は、時間やお金の使い方、ルールなどが、そ れまでの生活とは大きく異なるものでした。また、思春期を施設で過ごした私は、「家族」という当たり前の形を深く理解しきれないまま、大人になっていきました。その後、高校を卒業し、施設を退所して大学に進学した私は、インド洋に浮かぶ烏国スリランカで約1か月生活する機会に恵まれましたo初めての海外渡航や、将来への漠然とした不安、文化の違い、人間閲係など、スリランカでの体験は、施設での生活を思い起こさせるような出来事の連続でした。慣れない哀境での生活を通じて、 「家 族」という意味を改めて考える機会を得ました。この経 験や私自身の過去をもとに、イラストと本を制作しまし た。この作品が、「家族」という形について考えるきっか けとなり、私と同じような境遇にある子どもたちにとっ て、少しでも希望や光となることを願っています。
私は小学5年生のときに家族と離れ、高校を卒業するまで児童牲護施設で生活していました。施設では、私と同じように家族と薔らせない、または家族がいないな ど、様々な背景を持つ子どもたちと共に過ごしました。 施設での生活は、時間やお金の使い方、ルールなどが、そ れまでの生活とは大きく異なるものでした。また、思春期を施設で過ごした私は、「家族」という当たり前の形を深く理解しきれないまま、大人になっていきました。その後、高校を卒業し、施設を退所して大学に進学した私は、インド洋に浮かぶ烏国スリランカで約1か月生活する機会に恵まれましたo初めての海外渡航や、将来への漠然とした不安、文化の違い、人間閲係など、スリランカでの体験は、施設での生活を思い起こさせるような出来事の連続でした。慣れない哀境での生活を通じて、 「家 族」という意味を改めて考える機会を得ました。この経 験や私自身の過去をもとに、イラストと本を制作しまし た。この作品が、「家族」という形について考えるきっか けとなり、私と同じような境遇にある子どもたちにとっ て、少しでも希望や光となることを願っています。
Hagiwara Seminar


